(一社)周防大島観光協会
周防大島町久賀4316
TEL 0820-72-2134


周防大島におけます八十八ヶ所札所巡り「島へんろ」は、大島大橋より時計回りで島を一周する形で巡拝いただきます。(その昔は安下庄にある1番札所の快念寺から巡拝していましたが、大島大橋架橋後は橋に近い三蒲の40番札所が最初の札所となりました)
発心の道・修行の道・誓願の道・解脱の道・菩堤の道・涅槃の道へと続く島へんろ、瀬戸内海の多島美や昔ながらの原風景を残す周防大島路が皆様をおもてなしいたします。

発心の道(三蒲から久賀へと続く0番〜55番札所)
修行の道(日前から和田へと続く57番〜67番札所)
誓願の道(油宇から伊崎へと続く70番〜85番札所)
解脱の道(船越から秋へと続く78番〜7番札所)
菩堤の道(家房から志佐へと続く8番〜21番札所)
涅槃の道(小松から屋代へと続く22番〜39番札所)


お問い合わせ
(一社)周防大島観光協会 TEL 0820-72-2134

周防大島の「島へんろ」は明治時代に広大な島の景勝の中に八十八のお札所が開かれ、以来百年以上に渡って人々の心に祈りと安らぎを与えてきました。
御開祖である三王山・西長寺の第三十世佐々木純円和尚は、病弱な身体をおして並々ならぬ苦心の末、弘法大師の教えとありがたさを周防大島の人々の心からこころへと布教したのがはじまりです。
そもそも周防大島には、大同年間(806年〜809年)の頃、弘法大師が唐の国での留学を終え、京の都へ向かわれる道すがら、したしく周防大島へお立ち寄りになられ、島の山野を歩かれご修行ご祈念をつまれたと伝えられる霊跡が数多くあります。
この弘法大師の済世利人の御心を心とし、純円和尚は生涯をかけて周防大島全土にまたがる八十八のお札所を開いていった結果、明治22年(1889年)9月6日に開設法要が厳修されました。

所在地
周防大島町大字日見973(Googleマップ
TEL 0820-76-0213

中務茂兵衛は1847年(弘化四年)、周防大島は椋野に庄屋の二男として生まれ、何不自由なく育ちましたが、十九歳の時に突然四国に渡り遍路に身を投じました。
以後、ひたすら信心一筋に遍路を続け、ただの一度として故郷に帰ることなく、四国八十八カ所霊場を280回巡拝し、四国中に270余基の道標を建立するなど生き仏として崇拝されました。
高松で七十六歳の生涯を閉じた茂兵衛は「生まれきて残れるものとて石ばかり我が身は消えし昔なりけり」と、自らの生涯を詠み上げています 。

中務茂平衛の偉業をたたえ四国の石川椿師が発願し、四国霊場会長をはじめ遍路信仰を信ずる人々に寄付を募って、中務茂平衛の生地である山口県大島郡周防大島町椋野に茂兵衛堂が建立されました。
第一期工事完了時の昭和58年4月24日、当時の四国第75番札所 善通寺の管長である蓮生善隆大僧正、石川椿師ほか多くの信者のもと、町をあげて盛大に開眼法要が執り行われました。

所在地
周防大島町椋野(Googleマップ

島へんろの札所と併設されていることの多い石風呂は、石積みや岩窟の空洞を利用したサウナのような熱気浴施設で、久賀・土居・地家室などの石風呂が有名です。
ドーム型の風呂の中で火を焚き暖めたあと、海草や水草を敷き服を着て入るサロンとして活用されていましたが、現在では地家室の石風呂のみ体験いただけます。

周防大島におけます春の風物詩「お大師堂めぐり歩け歩け大会」は毎年4月29日(祝)に開催され、屋代平野に点在している十四ヶ所の札所をご家族・ご友達・職場の仲間とご一緒に巡るウォーキングイベントです。
また、お接待や軽トラ市場などの各種バザー、大抽選会などのプレゼント企画もあり、イベント当日は大いに盛り上がります。

公式ページ
http://www.suouoshima.com/event/aruke.html

ロングライドやポタリングなど自転車観光が盛り上がりを見せる周防大島ならではの、自転車で島へんろを巡る「チャリ遍路」をご提案。
移動手段を自転車にすることで周防大島の自然を五感で楽しみながら、走行距離約160kmの島へんろを体感いただけます。